2015年1月9日(金)
4日目 ②
4日目 ②
アウシュビッツ (ポーランド)~ワルシャワ
史上最悪の殺人工場と言われた
ビルケナウ・アウシュビッツ第二収容所
に向かいます。
ここでは百数十万人の命が奪われたとも言われています。
アンネ・フランクもここに一時期収容されていました。
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ビルケナウ・アウシュビッツ第二収容所までは約3キロ。
無料のシャトルバスが出ていますが、いろいろ考えながら
ゆっくり歩いて向かってみることにしました。
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寸断されたレールが残っています。
これで何人の収容者が運ばれたのでしょうか?
これも歴史の1ページかもしれません。
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なんとなく寂しい街並みです。
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30分以上歩くと、あの有名な建物が見えてきました。
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アウシュビッツ解放70周年の式典のため工事が進められており
正門前は立ち入り禁止となっていました。
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有名な「死の門」です。
凍りつくような光景です・・・・。
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映画「シンドラーのリスト」でのワンシーン。
収容所内での撮影が禁止のため、スピルバーグ監督は外側に収容所の
内部を建設して撮影が行われたようです。
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現存する収容所の建物は一部となってしまっています。
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この広大な敷地内にびっしりと収容所が建てられ、それでさえ
入りきらないほどの収容者が送り来られてきました。
全域を歩こうと思いましたが、あまりもの広さに早々にリタイアです。
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洗面所
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穴が開けられただけのトイレ。
一日2回だけ決まった時刻にしか使用させてくれません。
(写真を撮り忘れたので画像拝借しました。)
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ベッド
汚物が落ちてくるため、最上段に行きたがっていたとか・・・。
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敗戦前に大量虐殺の事実を隠ぺいするため、自らガス室や
焼却炉を爆破し、証拠隠滅を図ろうとしました。
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ヨーロッパ各地からこの家畜用の貨車に乗せられて
大勢のユダヤ人が運ばれてきました。
彼らは「荷」とよばれ、もはや人として扱われませんでした。
到着した時にはすでに息絶えてた人も大勢いたようです。
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最もショックだった一枚の写真。
中央の兵士が指一本で収容者の仕分けをしています。
「労働者」「人体実験」「価値なし」に分けられ、老人、子供、身障者
などは「価値なし」として、そのままシャワー室と呼ばれるガス室に
連れて行かれ焼却されました。
「価値なし」と判断された人達は70%以上と言われています。
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その作業はここで行われました。
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長かったレールの最終点。
ここから先の希望はありませんでした。
今でもローソクの火が絶えることがありません。
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終着点には慰霊碑が祀られています。
本当にあった惨劇でした・・・・。
★★ そして・・・・ ★★
15時18分アウシュビッツ発のバスに乗り再びクラクフへ戻り、
明日はレバノンに向かうのでワルシャワに向かいます。
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チケット売り場に直行。
ラッキーなことに二等の席が1席空いてました。
一等は1万円ほどするので・・・(^_^;)
ソッコーでホテルで預かってもらってたバックパックを引き取りとってきました。
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18時03分発ワルシャワ行き。
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朝食後初めての食事は駅弁(笑)
時間がぎりぎりでドリンクは変えずのどがカラカラ。
ポーランドまで来て地獄のような夕食です。
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ワルシャワまでは3時間の旅
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ワルシャワ中央駅に到着。
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さすがワルシャワは都会です。
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ワルシャワのシンボル、文化科学宮殿。
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今日は駅近くのホテル・メトロポールで宿泊。
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私の旅史上最高の部屋でした。
こんな安い値段で泊まっていいのかしらん(^_^;)
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今日も疲れました。一杯やって爆睡です。
明日は午前中ワルシャワ市街を回り、午後からいよいよ
中東のレバノンに向かいます。
つづく・・・。